蟻とキリギリス。 イマンジーと野菜。 何故だかホッとした。
信念のある汚さとだらけた汚さ。 両方とも同じ汚さだけど何が違うのだろうか。
信念のある汚さは自分で汚さを作り出している。 管理された汚さ。 だらけた汚さは自分で管理出来てない汚さ。 どちらが管理しやすいか考えてみると違いは明らか。 管理できてる方は汚くても人の好感を呼ぶだろうしだらけてる方は人から嫌われる。 それらが同じ汚さだったとしても。
それぞれの分野にはそれぞれの作法と呼ばれるコトが昔からある。
別にそれを守るのが重要とは思いませんけど人の生活を表すモノだとは思いますので昔から言われているコトには非科学的ではない何かしらの理由があって伝わっていると思うんですよ。
役に立たないコトを後世に伝えようとは思わないじゃない。
問題なのはその作法の根本的な意味に気づいて行動や考え方を出来るかどうか。
意味もわからずにやるやらないを判断するのはイイとは言えませんからね。
蟻とキリギリスの話がわかりやすいと思いますけど正直どっちもどっちだと思うんですよ。ただあの物語の結末は決まっていますけど意味を理解していれば蟻の様に働くのは良くないってなるのかも知れませんからね!
#管理 #信念 #自分 #蟻 #キリギリス #物語 #意味 #理解 #生活 #行動 #後世 #働く
Comments